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渡口政吉先生生誕100周年記念世界大会

世界大会を控えた3月29日から31日に掛けて、カナダ、アメリカ、豪州の道場生達と沖縄観光も兼ね 渡口先生の墓参に行きました。総勢40人の大部隊です。 美ら海水族館、今帰仁城址、首里城などを巡った後、渡口先生のお墓にお参りができ感無量でした。   4月1日は、翌日の大会に備えて参加者全員で技の確認等を行いました。 4月2日、渡口政吉先生生誕100周年記念世界大会が行われました。 今回の大会は海外からの参加者も多く、レベルの高い演武が展開されました。 成願寺道場の一般の部、少年部からも大勢が入賞を果たし、この一年間の練習の成果を発揮 することが出来ました。 4月3日は帰国を控えた海外の道場生達を浅草や東京タワーに連れて行きました。 初めて来日の人もいてとても喜んでくれました。 今回、合同稽古やツアーを通して海外の道場生達との親交を一層深めることが出来たことは、何よりの成果であった思います。

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菅総理とベスト・キッド 菅総理の空手師匠は映画「ベストキッド」のモデル、その教えとは 菅総理の大学空手部時代の1枚、1972年(中央)=提供:全日本空手道連盟  9月16日(水)菅義偉(すが・よしひで)内閣総理大臣が誕生した。空手関係で初の総理大臣が誕生しただけに、空手の関係者やSNSなどからも喜びの声が上がる。菅総理は空手道推進議員連盟の会長を務めており、空手が東京オリンピック種目となった立役者の一人だ。  空手には様々な流派が存在するが、菅総理が所属したのは法政大学剛柔流空手道部。剛柔流(ごうじゅうりゅう)は空手の流派の一つで、沖縄三大流派の一つだ。開祖である宮城長順が1930年(昭和5年)に創始、その直弟子だった渡口政吉(とぐち せいきち)が1984年に大ヒットした映画『ベストキッド』の主人公の少年ダニエルの師・ミヤギのモデルと言われている。渡口氏は宮城開祖に学び、沖縄空手道剛柔流尚礼館(尚禮館)を1954年(昭和29年)に設立した。そして1963年(昭和38年)に法政大学剛柔会(現剛柔流空手道部)を創立、師範に就任すると、その7年後に菅氏が大学に入学し、入部した。 ベストキッド のミヤギのモデルとなった渡口政吉氏  当時の学生たちは大学の空手部のみならず、中野の尚礼館にもたびたび足を運び渡口氏の教えを仰いだ。菅氏もアルバイトと学業に励みながら未経験で入部し剛柔流空手二段を取得、副主将も務めた。 菅氏はその空手の厳しい修行は現在の政治の世界でも生きていると言う。  2014年に発行された全日本空手道連盟の広報誌「あゆみ」のインタビューで菅氏は「厳しいところで自分を鍛えたい」と自ら進んで空手部に入部し、「耐える力や平常心の根本である胆力を私は空手道によって練ることができた」「日々生じる様々な問題から”逃げない”という強い気持ちや困難に耐える精神力は4年間の空手道部生活で鍛えられたものだと痛感する」と述べている。 尚礼館では、沖縄剛柔流空手の型、空手本来の身体の動かし方や体づくりを通し、武道として心の成長、持ち方を説く。渡口氏の著書には「空手の心」がある。まさに”空手は心の成長にあり”である。 映画ベストキッドの脚本家もニューヨーク尚礼館所属、映画誕生エピソード  映画ベストキッドは映画『トランスポーター』シリーズや、『96時間』の脚本家ロバート・マーク・ケイメン(72)が自身の半生を重ねて描いたものだ。ケイメンは17歳の時、1964年のニューヨーク万国博覧会の後、いじめっ子のギャングに殴られたのをきっかけに自分の身を守るために空手を学び始めたが、そこは、軍隊のようにあまりにも戦闘的であったため、渡口氏が創設した剛柔流尚礼館のニューヨーク道場に出会い移籍した。ベストキッドを観ると敵の道場「コブラ会」は、作者ロバートが最初に出会った道場がモチーフなのではと思えてしまう。 そして尚礼館で武道としての空手を練習し映画『ベストキッド』につながった。 渡口氏は1998年に81歳で他界したが、その前年の7月にMXテレビ「あなたの街から生中継」に出演し、ベストキッドの少年の師・ミヤギのモデルであることを明かした。空手は武道であり精神を鍛錬するものとも。そして映画のクライマックスの両手を広げての鶴のポーズからの飛び蹴りだが、それは尚礼館で渡口氏が作った白鶴(はくつる)の型の一部であると語っている。  現在、東京・中野にある尚礼館本部の代表師範、飯嶋利夫氏に聞くと「映画制作にあたりロバートが来日して取材に来たと渡口先生から聞いている」と話す。海外記事を調べるとロバートも師に会いに取材で日本に渡ったと話している。渡口氏と話し、師の空手修行エピソードなども織り交ぜベストキッド3部作を完成させた。   ちなみにロバートの弟のロイ・ケネス・ケイメンも1965年から空手を始め、後に兄からの紹介でニューヨークの尚礼館に入門し黒帯を取得、現在も空手の稽古を続けている。2017年に「KARATE-BENEATH THE SURFACE」を出版。本を読んだ限り日本タイトルは「空手:表の剛と心の柔」「空手の奥義」といったところか。本人のこれまでの空手修行と剛柔流空手の型、空手と精神について書かれている。そこには「空手を学ぶ目的は戦い方を学ぶことだけではない。一番は思いやりの心を身につけることだ。真に思いやりのある人間になるためには、臆することのない姿勢が大切」という。これは菅氏が言う「日々生じる様々な問題から”逃げない”という強い気持ちや困難に耐える精神力」にも通じる。空手の組手の試合では、恐れず一歩前へ、と言うことにもつながるだろう。  少年たちが強くなるために空手の門を叩き、渡口氏の弟子になり精神を磨き立派な大人に成長した。菅総理をはじめ、かつてのベストキッドたちの更なる活躍に期待したい。 文:吉倉拓児/取材協力:尚礼館総本部道場(https://shoreikan-karate.com/) イーファイトに掲載の『菅総理の空手師匠は映画「ベストキッド」のモデル、その教えとは』より転載(URL:https://efight.jp/news-20200919_465770)

菅総理と渡口舘長とベスト・キッド

菅総理の空手師匠は映画「ベストキッド」のモデル、その教えとは 菅総理の大学空手部時代の1枚、1972年(中央)=提供:全日本空手道連盟  9月16日(水)菅義偉(すが・よしひで)内閣総理大臣が誕生した。空手関係で初の総理大臣が誕生しただけに、空手の関係者やSNSなどからも喜びの声が上がる。菅総理は空手道推進議員連盟の会長を務めており、空手が東京オリンピック種目となった立役者の一人だ。 空手には様々な流派が存在するが、菅総理が所属したのは法政大学剛柔流空手道部。剛柔流(ごうじゅうりゅう)は空手の流派の一つで、沖縄三大流派の一つだ。開祖である宮城長順が1930年(昭和5年)に創始、その直弟子だった渡口政吉(とぐち せいきち)が1984年に大ヒットした映画『ベストキッド』の主人公の少年ダニエルの師・ミヤギのモデルと言われている。渡口氏は宮城開祖に学び、沖縄空手道剛柔流尚礼館(尚禮館)を1954年(昭和29年)に設立した。そして1963年(昭和38年)に法政大学剛柔会(現剛柔流空手道部)を創立、師範に就任すると、その7年後に菅氏が大学に入学し、入部した。 ベストキッド のミヤギのモデルとなった渡口政吉氏  当時の学生たちは大学の空手部のみならず、中野の尚礼館にもたびたび足を運び渡口氏の教えを仰いだ。菅氏もアルバイトと学業に励みながら未経験で入部し剛柔流空手二段を取得、副主将も務めた。 菅氏はその空手の厳しい修行は現在の政治の世界でも生きていると言う。 2014年に発行された全日本空手道連盟の広報誌「あゆみ」のインタビューで菅氏は「厳しいところで自分を鍛えたい」と自ら進んで空手部に入部し、「耐える力や平常心の根本である胆力を私は空手道によって練ることができた」「日々生じる様々な問題から”逃げない”という強い気持ちや困難に耐える精神力は4年間の空手道部生活で鍛えられたものだと痛感する」と述べている。 尚礼館では、沖縄剛柔流空手の型、空手本来の身体の動かし方や体づくりを通し、武道として心の成長、持ち方を説く。渡口氏の著書には「空手の心」がある。まさに”空手は心の成長にあり”である。 映画ベストキッドの脚本家もニューヨーク尚礼館所属、映画誕生エピソード ベストキッド の師匠ミヤギ(右)。(c)ソニー・ピクチャーズ  映画ベストキッドは映画『トランスポーター』シリーズや、『96時間』の脚本家ロバート・マーク・ケイメン(72)が自身の半生を重ねて描いたものだ。ケイメンは17歳の時、1964年のニューヨーク万国博覧会の後、いじめっ子のギャングに殴られたのをきっかけに自分の身を守るために空手を学び始めたが、そこは、軍隊のようにあまりにも戦闘的であったため、渡口氏が創設した剛柔流尚礼館のニューヨーク道場に出会い移籍した。ベストキッドを観ると敵の道場「コブラ会」は、作者ロバートが最初に出会った道場がモチーフなのではと思えてしまう。 そして尚礼館で武道としての空手を練習し映画『ベストキッド』につながった。 渡口氏は1998年に81歳で他界したが、その前年の7月にMXテレビ「あなたの街から生中継」に出演し、ベストキッドの少年の師・ミヤギのモデルであることを明かした。空手は武道であり精神を鍛錬するものとも。そして映画のクライマックスの両手を広げての鶴のポーズからの飛び蹴りだが、それは尚礼館で渡口氏が作った白鶴(はくつる)の型の一部であると語っている。 現在、東京・中野にある尚礼館本部の代表師範、飯嶋利夫氏に聞くと「映画制作にあたりロバートが来日して取材に来たと渡口先生から聞いている」と話す。海外記事を調べるとロバートも師に会いに取材で日本に渡ったと話している。渡口氏と話し、師の空手修行エピソードなども織り交ぜベストキッド3部作を完成させた。  ちなみにロバートの弟のロイ・ケネス・ケイメンも1965年から空手を始め、後に兄からの紹介でニューヨークの尚礼館に入門し黒帯を取得、現在も空手の稽古を続けている。2017年に「KARATE-BENEATH THE SURFACE」を出版。本を読んだ限り日本タイトルは「空手:表の剛と心の柔」「空手の奥義」といったところか。本人のこれまでの空手修行と剛柔流空手の型、空手と精神について書かれている。そこには「空手を学ぶ目的は戦い方を学ぶことだけではない。一番は思いやりの心を身につけることだ。真に思いやりのある人間になるためには、臆することのない姿勢が大切」という。これは菅氏が言う「日々生じる様々な問題から”逃げない”という強い気持ちや困難に耐える精神力」にも通じる。空手の組手の試合では、恐れず一歩前へ、と言うことにもつながるだろう。 少年たちが強くなるために空手の門を叩き、渡口氏の弟子になり精神を磨き立派な大人に成長した。菅総理をはじめ、かつてのベストキッドたちの更なる活躍に期待したい。 映画ベストキッドは映画『トランスポーター』シリーズや、『96時間』の脚本家ロバート・マーク・ケイメン(72)が自身の半生を重ねて描いたものだ。ケイメンは17歳の時、1964年のニューヨーク万国博覧会の後、いじめっ子のギャングに殴られたのをきっかけに自分の身を守るために空手を学び始めたが、そこは、軍隊のようにあまりにも戦闘的であったため、渡口氏が創設した剛柔流尚礼館のニューヨーク道場に出会い移籍した。ベストキッドを観ると敵の道場「コブラ会」は、作者ロバートが最初に出会った道場がモチーフなのではと思えてしまう。 そして尚礼館で武道としての空手を練習し映画『ベストキッド』につながった。 渡口氏は1998年に81歳で他界したが、その前年の7月にMXテレビ「あなたの街から生中継」に出演し、ベストキッドの少年の師・ミヤギのモデルであることを明かした。空手は武道であり精神を鍛錬するものとも。そして映画のクライマックスの両手を広げての鶴のポーズからの飛び蹴りだが、それは尚礼館で渡口氏が作った白鶴(はくつる)の型の一部であると語っている。 現在、東京・中野にある尚礼館本部の代表師範、飯嶋利夫氏に聞くと「映画制作にあたりロバートが来日して取材に来たと渡口先生から聞いている」と話す。海外記事を調べるとロバートも師に会いに取材で日本に渡ったと話している。渡口氏と話し、師の空手修行エピソードなども織り交ぜベストキッド3部作を完成させた。  ちなみにロバートの弟のロイ・ケネス・ケイメンも1965年から空手を始め、後に兄からの紹介でニューヨークの尚礼館に入門し黒帯を取得、現在も空手の稽古を続けている。2017年に「KARATE-BENEATH THE SURFACE」を出版。本を読んだ限り日本タイトルは「空手:表の剛と心の柔」「空手の奥義」といったところか。本人のこれまでの空手修行と剛柔流空手の型、空手と精神について書かれている。そこには「空手を学ぶ目的は戦い方を学ぶことだけではない。一番は思いやりの心を身につけることだ。真に思いやりのある人間になるためには、臆することのない姿勢が大切」という。これは菅氏が言う「日々生じる様々な問題から”逃げない”という強い気持ちや困難に耐える精神力」にも通じる。空手の組手の試合では、恐れず一歩前へ、と言うことにもつながるだろう。 少年たちが強くなるために空手の門を叩き、渡口氏の弟子になり精神を磨き立派な大人に成長した。菅総理をはじめ、かつてのベストキッドたちの更なる活躍に期待したい。 文:吉倉拓児/取材協力:尚礼館総本部道場 (https://shoreikan-karate.com/)  イーファイトに掲載の『菅総理の空手師匠は映画「ベストキッド」のモデル、その教えとは』より転載(URL:https://efight.jp/news-20200919_465770)

Books 1.Books authored by Shoreikan Founder Seikichi Toguchi Karate no Kokoro 2,800 Yen + Shipping Shoreikan Karate Instructional Book vol.1 & Vol.2 Vol.1: 2,800 Yen + Shipping Vol.2: 4,000 Yen + Shipping 2.Books authored by Mr. Toshio Tamano Okinawa Karate Goju-Ryu Learn Karate from Miyagi Chojun’s Okinawa Karate

Shoreikan Karate Okinawa is known as the land of courtesy and respect as in the well-known monument “Shurei No Mon”. Shorei-Kan, named in reference to the importance of courtesy in Okinawa by one of Miyagi Chojun’s senior students, Toguchi Seikichi, opened its first Dojo in Koza city after the war in the Goju style. Toguchi Seikichi completed the work of Miyagi Chojun (cut short by the war) in continuing to expand the Fukyu Kata series with Gekiha, Kakuha and Hakutsuru Katas, and completed the Shorei-Kan teaching curriculum. Characteristics of Shorei-Kan Karate 1. Practice starts from basic Kata to more advanced […]

History The History of Karate Karate is the martial arts, characterized by punching and kicking using only fists and feet, born in Okinawa of the Ryukyu Kingdom era. There are many theories as to the origins of Karate. The usual understanding is that Chinese martial arts techniques were added to local fighting traditions (called Tee), and that Karate furthermore developed under the influence of traditional Japanese martial arts such as Jigen-Ryu. If we look at the development of Karate in Okinawa we can identify the main areas as being Shuri-Tomari and Naha and the arts named as Shurite and Nahate. […]